低下した権力監視能力2017年08月14日 15:08

 ネット上ではネトウヨと名付けられているが、保守を標榜する権力擁護人たちの活躍が顕著である。今の時代、右とか左といったイデオロギーで物事を考えた頃とは違い、右、左で判断しては物事を見誤りかねない。かつての思想全盛の時代は終わり、新たな概念が生まれつつあるときだろうと思う。

 反権力の立場に立つ人は権力擁護の人たちをネトウヨ,右派と切り捨て、権力擁護者は反権力者を左派、左巻と蔑む。両者の議論はかみ合わず、感情的な罵りあいに終始しているのが現状である。これでは議論は深まらないし、最良の策が生まれる余地もない。

 現在は右派と言われる論客たちが元気である。そうした人が活躍する雑誌も豊富だ。WILL、HANADA、正論、文藝春秋などで、かつての左派論壇誌だった現代の眼、中央公論、世界、朝日ジャーナルなどはことごとく討ち死にした。残っているのは世界、趣旨替えした中央公論くらいである。

 昭和30年代後半、左派の全盛時代で、学生運動も華やかだった。学生運動で目標を見誤った連合赤軍といった過激セクトが発生し、浅間山荘、赤城山事件が起きるに及んで徹底した学生運動の弾圧が始まり、アパートのローラ作戦が実施されるに及んで学生運動は壊滅した。学生運動弾圧の生々しさを記録した映画「圧殺の森」が作られたのもこの頃である。そして社会は大きく右旋回を始め、イデオロギー時代も終わった。

 学生運動家たちが数多く週刊誌業界になだれ込み、その誌面のゲリラぶりでもてはやされた週刊誌も今や見る影もなく落ちぶれ、新聞を含め活字媒体は危機的状況にある。何とか乗り切ろうとスポンサーにひれ伏し、本来のゲリラ性をなくし、ますます読者の信頼をなくすという悪循環に陥っている。

 と同時に言論界の監視が消えた政治権力者はやりたい放題、友達ならどんどん税金をばらまき、時には司法権力までもねじ曲げる悪辣さ。生き残りたい言論人は権力者に尻尾を振り、権力擁護に邁進、余録に預かろうとする。今の時代は、そこまで落ち込んでしまっているといえそうだ。

 こうした時代を今後正すことが出来るのかどうか。活字メディアに課せられた宿題は多い。

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